meineko’s blog

元つくばの某独立行政法人勤務の植物屋です。最近は、ほぼ、突発天体の話題です。

変光星観測者を増やす

Heoさんは、変光星観測に興味を持ってくれる人が、増えたらいいなという目論見もあって、天文ガイドの観測所紹介に応募したそうです。
昔から、変光星観測者は、少数派だという自覚がそうさせるのか、仲間を増やそうとするのが好きです。
#で、仲間になると、和気あいあいするのももっと好きです。
まぁ、ならと、一念発起しても、Heoさんみたいなバリバリな観測者になるのは大変でしょうが?


もっと暗い星を、もっと情報量の多いデータをと、望遠鏡やら測定器を買い漁る観測者がいる一方で、一定数、ライフワークのように、明るい星を小望遠鏡や双眼鏡でご機嫌伺いを続けている観測者もいます。
様々な楽しみのできるのが変光星の観測で、趣味ですし、観測データがなにかの役に立つなどというのを離れて、野山の自然を愛でるのと同じように、変光星を愛でるやり方も、たいへんありだと思っています。
そういう観測者でも、お気に入りの星やこだわりの星があって、侮れません。


で、最近は、SSHだ、夏の学校だと、若い人が変光星に触れる機会が増えています。
指導者の趣味というのもありそうですが、短期間で、ある程度オリジナルの結果が得られるのが受けているようです。
夏の学校あたりは、その後、大学で天文学を学ぼうという人材を誘導しいようという目論見をありそうですが、SSHあたりだと、もっと広く科学の素養を身につけてもらおうという目的の方が大きいかもしれません。
で、きっかけは、どうあれ、せっかく変光星に触れる機会があった人の中から、プロ/アマと問わず、その後も自分で変光星観測を続ける人が、少しでもいいから出てくれたらなと思うことがあります。


でも、わたしに、よいアイデアがあるわけでは無いので、ココでは、年寄りの特権で、昔話を書きます。
どう、変光星観測を始めてたのか、そのきかっけと、その後、どうしたかです。


本当のきっかけはよく覚えていません。
小学校5年生で、遠足で行ったプラネタリタリウムで星を知ったのが、始まりでしたが、電気工作にだって興味があったし、野鳥観察もしてみたかった中、どうして、天文にのめり込んだのかは自分でもわかりません。
あえて、考えると、皆既月食があってその観察をしたのがいけなかったのかもしれません。
中学生になった頃、近所の友達と、天文同好会のまね事を始めました。
ごっこ遊びの延長ですから、同好会の中に星雲星団課とか、重星課とか、変光星課とかを作ろうということになりました。
まぁ、分担を決めて、各課に関連した面白そうなことがあったら、みんなに呼びかけて、みんなで観察会をするといた具合でした。
ですから、ペルセウス座流星群もみたし、ウエスト彗星も見たし、はくちょう座の新星も見たし、天文全般に興味を持って活動していました。


それが、どうして、変光星に集中することになったのかはよくわかりません。
中2の夏休みの自由研究が、こと座ベータ星の観測でした。周期が12日もあるし、もちろん目測の精度も悪いので、夏休みだけではなかなかよい結果が出なくて苦労しましたが、とにかく、結果をまとめました。
で、それが終わって、次はどうしようかと思っていた時に、何を思ったか、東京天文台に電話して、「変光星観測を始めたいが、結果は、どこへ報告したら良いのか」と聞いたのです。
それまで、彗星の情報とかを東京天文台のテレホンサービス(そうです、当時は、インターネットなんて無かったのです)で聞いて、仲間内の天文同好会の会報に載せていたので、多少、気安さがあったのかもしれません。
そこで、日本天文研究会で、以前、変光星の委員をされていたSmsさんを紹介してして頂きました。
ミラを何晩か観測して、結果をSmsさんに送ると、ご自身の観測から書いた光度曲線に、わたたしの観測もプロットしたものを送って頂きました。
わたしの観測は、夕方、西に低くなったからといって、2月で終わっていたのですが、その光度曲線では、その後、3月4月と、さらに明るくなっていた事が、Smsさんの観測でわかって驚きました。
その際、日本天文研究会への観測報告の仕方を教わって、Mzeさんのところへ観測報告を送ることになりました。


で、どうやって観測星を増やしていったかですが、その頃は、今と違って変光星の比較星光度の入った変光星図を手に入れるのが大変だったのです。
最初は、藤井旭さんの星座ガイドやHsyさんの本に載っていた星図、それに恒星社のGmi編変光星図、それと天文雑誌の変光星欄に載っていた星図を図書館でバックナンバーも借りながら手に入れて、その中から自分の望遠鏡でも見える星を片端からみました。


望遠鏡は、最初は、ニコー通販の粗悪品の6cm屈折経緯台で、そのうち、隣のうちの友人が、コルキットの8cm屈折経緯台を組み立てたので、それを借りに、晴れれば毎晩、隣のお宅に行きました(w
見かねた(w)父親がお金を出してくれて、ビクセンの10cm反射経緯台を買いました。
就職するまで、これがメインの望遠鏡でした。


高校2年の時に、アマチュア天文研究発表会が新宿でありました。
この変光星の分科会で発表されたのが、変光星観測者会議でした。
これに出て、いろいろな人と合ったのが、決定打だった気がします。
同じ頃、近所の高校にも変光星をやっている人がいるのを知って少しは交流を持たりしていましたが、会議を通して、多くの観測者の方と顔見知りになって、手紙や電話で交流を持てたのが、大きかったと思っています。
その後、就職をした頃に、KatさんやY君と出会って、毎晩のように、電話で話をしていました。


というわけで、結論として、変光星観測を続けられたのは人との交流ですね。
CCDを買ったり、JAPOAの方々とも交流を持った話は、また、いずれ?