カネゴンさんのところにlinkが貼られていたもの。
武士階級から厳しく年貢を取り立てられ、ぎりぎりの生活を強いられていた人々
という江戸時代の農民のイメージに対して、具体的なデータを挙げ、
- 4公5民といわれる年貢の率は、検地のデータを元に算出されたもので、実際の収穫量は、余った分を換金できるほどであった
- 年貢の対象外の換金作物も沢山作っていた
ということから、それほど貧乏でなかったのではという結論をされているようです。
わたしは、ここでは、残念ながら具体的な資料や数字を挙げて検証できないのですが、
ただ、少し思ったのは、その現金収入って誰のもの?ということです。
地主のもので、小作の一般農民には縁がなかったのではという気がしています。
あと、
ある研究者は「百姓は…金をたくわえ、それを生産に投下しなければならなかった。江戸時代の百姓家が広い敷地をもち、その敷地の中に納屋や立派な土蔵をもつのは、彼らが食べ物を倹約し、粗末な衣服をまとったことの結果である。粗末な衣服を身にまとっていることをもって、彼らを一方的に貧者と決めつけてはならない」と述べています。
というのを引用されているのですが、これって、可処分所得は低かったってことではないですか?